私の実家は保育園と小学校の隣(細い道を挟んだ真横・地区内に同じ苗字が何件もあるので、保育園の隣の**さんと呼ばれるほど隣)に建っていて、18歳で家を出るまでそこで育ちました。
今ではその保育園も小学校も統廃合によってなくなってしまい、更地。
母はよく「なんだか寂しい」「昔は子供の声が聞こえて良かった」と言っています。
「うるさい保育園がなくなってスッキリした」とは聞いたことがありません。
両親も今は亡き祖母も、私の知る限り子供の声がうるさいとか言ったことはありませんでした。
それは、そこに通う子供たちが皆「知っている子」だったからだと思います。
田舎の小さな地区の小さな保育園だったので、良くも悪くもプライバシーゼロ。
祖母なんかは庭の草むしりから戻ってくると
「今日は○○んちの下の子がきてなかった」「△△んちの孫は声が大きい」
とか、そんなことよくわかるな…ってとこまで見てきて言ってました。
きっと近所の茶飲み友達ともそんな話をしていたんじゃないかな。
ま、それが良いことか悪いことかって言われるとなんとも言えませんけど。
私自身は、学校が近いので朝ダッシュで忘れ物を取りに行けるのは便利でしたが、
学校行事が筒抜けだったり、学校の窓から自宅が丸見えでちょっと恥ずかしいと思ったこともありました。
我が家にとって、保育園と小学校に通っている子たちは「うちの地区の子」であり、「うちの子の友達」だったので、多少うるさくてもと気にならなかったんじゃないかな。
親が率先してPTA役員をやる様なタイプだったこともあるかもしれません。
保育園の建設に反対する人にとってそこに通う子供たちは突然現れる「よその子」「知らない子」であるから、自分の知っている子供とは違う存在としてしか感じられないんだろうと思います。
こんな風に書くと「田舎バンザイ!田舎素晴らしい!」みたいに聞こえるかもしれないけど私は田舎の排他的でプライバシーが無くて濃密過ぎる近所の関わりを嫌がって逃げ出したタイプなので、そんなことは言えませんし言いません。
ただ、今になると、小さい頃はそのコミュニティーにがっちり守られていたんだなってことはわかります。
子供ができて、近所の幼稚園でやっている親子の会に参加した日、ちょうど鼓笛隊の練習をしていて、その大音響にすぐそばのアパートの壁が振動しているのを見ました。
うわー、こりゃ夜勤の人とか寝付きの悪い新生児の親なんかは辛いだろうな…ここにはあんまり住みたくないかもな…と、正直思ってしまいました。
送迎時間頃の保育園付近を通ると縦列駐車がものすごいことになったり、路肩に並んだ自転車で車がすれ違えなくなっていたりする様子も見たことがあるので、仕方ないことなんだろうけどこれが毎日続くのは嫌だと思う気持ちもわかります。
単純に「反対する人は冷たい!心が狭い!酷い!子供達がかわいそう!」とは決して思えない。
私が子供の頃とは、環境も何もかもが違っているんだから、それに合わせていかないといけないんだなぁ、と。
かといって我が地元の様な超ド田舎に保育園を乱立しても、誰も使えないし。
難しいなぁ・・・難しいね・・・
こういうのって本当に本当に難しいな、といつも思います。
保育園だったりゴミ処理場だったり発電所だったり、無くては困るけど、誰だって自分の家の側には作って欲しくない。
誰かが犠牲になれば良いのか。
それも、何か違う気がする。
以上、保育園の隣に住んでいた私の思ったことを書いてみました。
やっぱり、時間がかかっても地域交流を図りつつ、ちょっとずつ溶け込んでいくしかないのかな…と思います。
あとは、もう最初から子供のいる施設込みで街を作る、とか。
で、騒音ゾーンは家賃を安くする(補助が出る)的なしくみにする、とか?
シムシティじゃないんだからそんな簡単に配置換え出来ないよなぁ…うーん…
なんの解決策も思いつかないけど、おしまい。